コンテッサの性能

 コンテッサチェアはエルゴノミックエクセレンス賞(イギリス)、IDEA賞(アメリカ)、グッドデザイン賞(日本)をそれぞれ受賞。コンテッサのデザインは、背もたれを支えるフレームがむき出しになっているなど、2002年の発表当時としては斬新さが話題を呼びました。またコンテッサはデザイン面だけでなく、現在では一般的になっているような、ランバーサポート調節、座面奥行調節、アームレストの高さ・角度調節を標準装備。何より特筆すべきは、コンテッサはアームレスト先端のレバーを操作するだけで、座面の高さ調節とリクライニングの固定というオフィスチェアにとって最も重要な調節を行える仕様になっており、多機能性でも注目を集めました。

 コンテッサと同様に多彩な調節機構を備えていたエルシオチェアは、しかし、同オットマンとの併用をもって、座り心地が完成されるものでした。コンテッサチェアはオカムラのエルゴノミクスチェアお家芸ともいえるアンクルチルト機構を搭載、コンテッサチェアは多機能性を持ちつつも、チェア単体での座り心地を実現させています。

伯爵令嬢の帰国

 主要な国内オフィス家具メーカーの総合カタログを見てみます。オフィスチェア部門のページをめくっていると、ほとんどのカタログで、海外ブランド品が掲載されている箇所があります。HAWORTH(ヘイワース・アメリカ)、dyrlund(デューロン・デンマーク)、steelcase(スチールケース・アメリカ)、Knoll(ノール・アメリカ)、Wilkhahn(ウィルクハーン・ドイツ)と、海外でも名高いブランド名が日本のオフィス家具メーカーのカタログに織り込まれています。ここには、海外メーカーと提携する事で、互いに日本国内の販路を拡大するという戦略が見て取れます。



 国内オフィス家具メーカー11社の総合カタログを参照したところ、オフィスチェア部門で海外ブランド品を取り扱っていないのは2社のみ、その一翼がオカムラです。オカムラは、海外メーカーと提携するのではなく、むしろ、自社製品を海外に売り出す道を取りました。その、海外進出のための製品として開発されたオフィスチェアが、今回ご紹介いたしますコンテッサ(contessa:“伯爵夫人”もしくは“伯爵令嬢”を意味するイタリア語)です。コンテッサはまずドイツ、次いでアメリカで先行販売されて好評を博し、2002年には満を持して日本国内にもリリースされています。今でもコンテッサの売り上げは、海外と国内とで概ね半々だという話も聞きます。

オカムラとジョルジェット=ジウジアーロ

 岡村製作所(オカムラ)は、元は日本飛行機という飛行機メーカーのいち工場でした。敗戦により閉鎖された工場のスタッフが横浜市岡村町に新たに創業したので社名を岡村製作所としています。オカムラは在日米軍からの依頼に応じオフィス家具の製造販売を始めますが、「動くモノ造り」への情熱は冷めやる事なく息づき続け、1953年には飛行機「N-52」を、1957年には日本初のAT車「ミカサツーリング」を発表しています。しかし、メインバンクからの勧めにより、オフィス家具の製造に専念するようになりました。



 一方1960年、イタリアに22歳の若いデザイナーが生まれました。ジョルジェット=ジウジアーロ(Giorgetto Giugiaro。発音は「ジュジャーロ」の方が原音に近いとも)氏です。ジウジアーロ氏は数々の優れたデザインの市販車やプロトタイプを次々に発表。1968年、30歳の時に日本人企業家宮川秀之や名人級の板金技術者アルド=マントヴァーニと共同で自らの会社、イタルデザイン社を設立します。1970年代にはカロッツェリア(carrozzeria。イタリア語で車のボディーの形状をデザイン・製造する業者のこと)の巨匠として一世を風靡しました。さらに1981年には自動車分野以外の製品をデザインするジウジアーロ・デザイン社を設立します。

エルシオからコンテッサへ

 オカムラがアメリカ・ASE社(All-Steel Equipment Company)からも技術を学び取りつつ、たゆまず培い続けたチェア造りの技術のひとつの集大成がエルシオチェアでした。後傾に特化し、あらゆる部分でユーザーさまの体格に合わせた調節が可能で、しかもその調節可能範囲も広いという、「究極のオフィスチェア」という声も上がるほどの製品でした。オカムラは、好評を得たエルシオに、世界進出を意識できる手応えを感じたのではないでしょうか。エルシオは、コンテッサに連なる重要な布石であったといえます。



 一方のジウジアーロ氏は、自動車を主に手がけていた時代に、いすゞ・スズキ・スバル・ダイハツ・トヨタ・日産・三菱と、日本国内の自動車業界でも仕事をしていました。また1980年には一眼レフカメラ・ニコンF3のデザインもしています。





 「動くモノ造り」への情熱を秘めてモノ造りに挑み続けてきたオカムラと、若くしてカロッツェリアとして頭角を現し、そして新たなステージを求めたジウジアーロ氏とが、ここで巡り合わせた事は、もはや必然であったように感じます。かくて“伯爵令嬢”コンテッサチェアが産声を上げたのです。コンテッサはオカムラの活躍の場を、世界へと引き揚げた端緒となりました。

終わりに

 コンテッサチェアの後続として、オカムラとジウジアーロ氏の挑戦は、バロンチェア、そしてサブリナチェアと続いています。オカムラはコンテッサで世界への道を切り開きました。日本のオカムラが世界で活躍する姿を、末永く見続けていたいものです。